そもそも:「ちゃんと考える力」は本当に必要なのか
誰しも何かを「考える」必要があるときってありますよね。人生は選択の連続だってのはシェイクスピアの言葉らしいですが(今調べて初めて知りました)、そんな「選択」の際には誰しも「考える」んじゃないかと思います。
人によっては考えなくとも選択できるのかもしれませんし、それでも全く不具合の無い人生を送るケースもあるのかもしれませんが、たぶん、おそらく、ちゃんと考えた上で選択した方が、良い人生になる可能性が高いんじゃないかと思います。なので、「ちゃんと考える力」は、良い人生を送るために非常に重要になるのでは、と思うわけですよね。
じゃあ:「ちゃんと考える」とはどういうことか
じゃあその「ちゃんと考える」ってどういうことかってことなんですけど、逆に、「もっとちゃんと考えてよ」とか言われたことありませんか?
いろんなケースがあるかと思いますが、例えば「なんとなく思ったことを、そのまま言ったとき」「反射でモノを言ったとき」なんかに、「ちゃんと考えてよ!」と言われがちなんじゃないでしょうか。「なんとなく思ったこと」つまり「特に理由も根拠もなく思ったこと」を言ってしまうと「ちゃんと考えなさい」と言われる。つまり、逆に「ちゃんと考える」というのは、「常に理由や根拠と一緒に考える」こと。もう少し加えると「誰にでも理由が説明できるように考えること」こそが「ちゃんと考えること」であるというわけです。
具体的には:「スタートライン」と「ハシゴ」が大事
じゃあ「誰にでも理由が説明できるように考える」にはどうするかというと、
- 「誰もがYESと言ってくれそうなスタートライン」まで戻る
- 「なぜ?」「だから?」のつながりを確認しながら話を組み立てる
この2つが大事です。
① 「誰もがYESと言ってくれそうなスタートライン」まで戻る
「ちゃんと考える」にあたって最初にして最大の邪魔者は「思い込み」「前提」です。人は知らず知らずのうちに「思い込み」「前提」をもっています。それを「スタートライン」として、物事を考えてしまうんですね。
例えば今、「明日の夕食何食べるか」を考えてみてください。…考えましたか?
さて、その考えは、「家で食べること」を前提にしていませんか?あるいは「日本国内で食べること」を前提にしていませんか?あるいは「なじみのあるメニュー」に限定していませんか?これが「スタートライン」です。
特に人と話すときには「スタートライン」がズレてると一生会話がかみ合いません。例えば明日一緒に遊びに行く相手との会話でこんなのがあったとしましょう。
相手:「明日何食べたいー?」
あなた:「餃子!」
相手:「それは…大変すぎひん!」
あなた:「すぐだって」
相手:「きついきつい。もうちょっと楽なのにしよ」
なんだかかみ合ってないですね。この場合あなたは「外食」、相手は「自炊」を「前提」にしてるからかみ合わないわけです。昔のアンジャッシュのコントみたいな状況ですね。(伝われ)こういう時に大事なのは、自分の中の「前提」「思い込み」を壊して「スタートラインを戻す」ということです。
ちょうどいいスタートラインは「誰もがYESと言ってくれる前提」
じゃあ「ちょうどいいスタートラインとは?」というと、「まあほぼ確実に誰もがYESと言ってくれるだろうな」というラインです。逆に言うとそこまでは戻らないとだめです。戻らないと、「話のスタートからかみ合ってない/意見が合わない」感じになるからです。「ちゃんと考える」とは、「誰にでも理由が説明できるように考える」ことでした。ということは、説明のスタートの時点で賛否両論あるようでは、一生「誰にでも理由が説明できる」わけがありません。「誰もがYESと言ってくれるスタート」から始めないといけないのは自明ですよね。
②:「なぜ?」「だから?」のつながりを確認しながら話を組み立てる
「スタートライン」が決まったら次は、実際にアイデアや説明を考えるために実際に話を「組み立て」ていかないといけません。そこで大事なのは、「ハシゴ」のイメージ。そして「ハシゴを飛ばさない」ということです。
論理のハシゴを飛ばすと…?
これでは「なぜ?」が伝わらない。
上の例で言えば、「いやー仕事忙しかったから餃子食べたいんだよね」っていう話をされても、全然「論理的じゃない」わけです。それはなぜかというと「ハシゴを飛ばしているから」です。
ハシゴを一段ずつ上ると…
これなら納得できる!
「だから?」と「なぜ?」で昇降チェックする
すべての話と話の間が「だから?」のハシゴでつながっているかを常に確認する癖をつけないと、「考えの整理」「わかりやすい説明」はできません。そのためには、「昇降チェックする」ことです。自分の考えを「だから?」で上っていき、逆に頂上から「なぜ?」で降りてみて、話がスムーズにつながるかを確認するのです。
「ちゃんと考える=誰にでも理由が説明できるように考える」には「①潜って②昇る」イメージが大事
ここまでの2つの考え方を使うことで「ちゃんと考える」ことができます。最後にもうちょっと実用的な例として、「学祭で餃子を出すべきかどうかの議論中」を考えてみましょう。
「前提」を疑い、深く潜ってから昇る
深いスタートラインから考え始めると、より質の高い意見になる。
「学祭に出店する」という一見当たり前の前提も、「なぜ出店するんだっけ?」と疑ってみることに価値があります。深く潜って「目的」という本当のスタートラインを見つけることで、「利益を重視するなら手包み焼き餃子、思い出作り重視なら冷凍水餃子かな」といった、より本質的で建設的な意見(ちゃんと考えられた意見)を出すことができるのです。
おまけ:デカルトとアリストテレス
偉そうに書いてきましたが、基本的にこの考え方は大昔の偉人の話をもとにしています。
「誰もがYESと言ってくれそうなスタートライン」まで戻るというのは、デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」という結論に至るまでに行った「方法的懐疑」そのものです。彼は、自分が正しいと思っていることを一度すべて疑い、絶対に疑えない確実なものだけを思考の出発点にしました。
「なぜ?」「だから?」のつながりを確認しながら話を組み立てるというのは、アリストテレスが体系化した論理学、特に「三段論法」の考え方に基づいています。「AならばBである」「BならばCである」ゆえに「AならばCである」という構造を、一段ずつ丁寧に確認していく作業が、論理のハシゴを上ることに他なりません。
参考文献
- 『ロジカル・シンキング』(照屋華子、岡田恵子):記事中の「なぜ?」「だから?」のハシゴは、本書の「So What? / Why So?」が元ネタです。
- 『学習する組織』(ピーター・M・センゲ):「推論のハシゴ」という概念について、より詳しく知ることができます。
- 『多様性の科学』(マシュー・サイド):自分の中の「思い込み」や「前提」を認識し、壊していくことの重要性を学べます。