HATARAKU GYOZA BLOG
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思考法・コミュニケーション

「あなたに責任はないけど、原因はあったかもね」

2025年6月17日

たとえば「だまされた方も悪いんだ」なんていう言い回しがありますよね。いろんな意見があろうかと思いますが、私の中では、いつも次のように思ってます。

だまされた方に「責任」はない。でも、だまされた方にも「原因」はあるかもしれない。

タイトルの通り、「責任」と「原因」を分けて考えるべきだ、ということを主張したいわけです。

詐欺の例で考える「責任」と「原因」

例えば何かしらの詐欺があって、だました人とだまされた人がいたとしましょう。何せ「詐欺」ですから、だまされた人に「責任」があろうはずがありません。

でも、だまされた人にも「原因」はあるかもしれません。それは、例えば「契約書をちゃんと読まなかった」とか、「不注意にどこどこについていった」などの、「〇〇しておけば避けられたはず」という類のものです。これも責めようと思えば責められるんですが、責めるべきではないと思ってます。なぜならこの点は「再発防止」につながるからです。

つまり「だまされた人には『責任』はないけど、こういう『原因』はあったから、これから気を付けた方がいいだろうね」っていうコミュニケーションは全然あり得ると思うんですよね。

責任追及 原因検証
  • 過去志向
  • 個人を責める
  • 目的:罰、非難
  • 結果:隠ぺい、対立
  • 未来志向
  • 事実や行為に着目する
  • 目的:再発防止、改善
  • 結果:協力、成長

SNSの不毛な言い争いを建設的な議論に変えるには

よくSNSなんかでも何かしらの事件に触れて「被害者も悪い」とか言って「加害者養護だ!」とかの議論のようなものが盛り上がっているのを見ます。これも「どっちが悪いかの話」だという次元で捉えちゃうと、「被害者の行動にも原因はあったよね」みたいな声に対して「被害者を責めるのか!」みたいな反論が出て紛糾しちゃいます。

「被害者には『責任』はない」としたうえで、「でも被害者のこういう行動に『原因』はあったかもしれない、こうすれば事件は避けられたかもしれない」ていう分け方をしたいですよね。その上で、「これからこの『原因』を避けるようにしたら、同様の事件を減らせるんじゃないか」というものすごく建設的な議論になるはずだと思うわけです。まあ、SNSという場の雰囲気を考えると難しいんだと思いますが…。

「責任追及」ではなく「原因検証」を

あらゆるインシデントやトラブルについても、この原則は重要だと思ってます。とある人がきっかけでトラブルやインシデントにつながったとき、「どうしてそうなったんだ!」「理由を説明しなさい!」という言及は当然、ありえると思います。

ただしこれが「責任追及(その人を責めるため)」の言及になっちゃうと、その人は少しでも責任を小さくしたいので、虚偽や隠ぺいが発生しがちになります。あくまで「原因検証」の言及として、「一緒に再発防止のために情報を挙げきろう」っていうスタンスが大事になってくるわけです。

言う側と聞く側、両方の理解が必要

これの難しいところは、追及する側(言う側)が言葉に気を付けるなど、スキルが必要なのはもちろんですが、聞く側もスキルが必要だということです。どんなスキルが必要かと言えば、それは「相手の言葉は『自分への攻撃ではない』と聞き分ける力」です。

言う側が最大限気を遣って言葉を選んだところで、表出するやり取りは「あなたはなぜ、こうしたの?」という追及になってしまいます。聞き手の受け取り方次第では、どうしても自分を責めているように感じてしまい、心を閉ざしてしまう方に傾きます。敢えて強い言葉を使えば、「被害妄想」によって、正しい原因追及がなされないこともあるのです。

それを避けるためには、まずは言う側が「これは攻撃ではない」と毎回明示的にすることが最重要であり、その上で、聞き手がその言葉を100%信じて、「この言葉は私への攻撃ではない」と認識することが必要なのです。

部外者は黙ってるのが無難だろうなと

…と考えると自明ですが、この「原因検証と責任追及を分ける」には、普段からの信頼関係の構築が重要になってくるわけです。信頼関係ができてない状態、ましてやほとんど知らない人なんかに、このコミュニケーションは成立しないわけです。

よく「良かれと思って」赤の他人に指摘をしたりする人がいますが、十中八九その「良かれ」は伝わりません。たとえ適切に「原因」を指摘した言葉だったとしても、受け手にとっては「責任を追及された」「攻撃された」と感じている可能性は高いんで、「相手のため」を思うなら、まあ黙ってた方がいいかなとか…!

自分に向ける「原因検証」、すなわち「適切な反省」

この考え方は、自分に向けて考えることもできます。『ROOKIES』という漫画に出てきた川藤先生の言葉にこんなのがありまして。

反省は絶対必要だが後悔は愚の骨頂だ

後悔=自分への責任追及、反省=自分への原因検証、と言えると思います。失敗してしまった時に、「自分は本当にダメな奴だ、なぜこんなことをしてしまったんだろう」という気持ちになるのはだれしもあると思いますが、ただただ凹んでいてもまったくプラスはないわけです。「責任追及」は適切に切り離しておき、「原因検証」を行うことで前を向き、自分の改善につなげる。周りもそれを望んでいるはずです。

※ ちなみに、「へこんじゃだめ」と言ってるつもりはないです、それも人として当然の現象なので、それは受け入れつつ、でもそこそこに切り離していこうねということで。

これも一種のスキルだと思ってて、意志をもって訓練することが必要です。失敗があると、つい自分を責める方にエネルギーを使ってしまいがちですが、それを少しだけずらして「自分の人格を責める」のではなく「自分の行為を責める」方に向けるイメージです。そして自分の行為をアップデートすることで、結果的に人格も磨かれる…みたいなことかなって思ってます。

「罪を憎んで人を憎まず」という、人を大事にする考え方

最後の表現からピンと来た方もいるかもしれませんが、昔からしばしば耳にする、「罪を憎んで人を憎まず」という考え方も、これに近いのかなと思ってます。つまり「人の責任」を追及するのではなく、「原因となった行為」を検証することで、「人を第一に大事にしつつ、みんなで未来を考えよう」という考え方なのかなと。

ちょっと性善説過ぎるような気もしつつ、一つの考え方としては前向きですごくいいよなって個人的には思ってます。何事も、どうせなら前向きに考えたいよねってことで、覚えておいて損はない考え方かなと思います。

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